ある意味で、“勝ち”
めっきり寒くなってきましたね。
皆様、お風邪など召していませんか?
深々と冷え込むと、気持ちが引き締まるようで
私は大好きな季節です。
病弱なのでよく風邪ひいてしまいますが。
最近。
昔、営業職に就いていた頃に部長から
「おまえは、勝ちにこだわりがない!」
と叱られていたのを思い出します。
“勝ちにこだわりがない” といえば、確かにそうだと思います。
昔から個人としては誰かに勝つことに興味がなく、今でも
「お客様が競合に打ち勝って収益をあげて幸せになってほしい」とか
「(スポーツで)チームを勝利に導いて皆で喜びたい」とか
そういうことは強く思い、その為の努力は厭いませんが
個人として勝つことにはあまり興味がありません。
多くの場合、相手に打ち勝つとか、相手より数字で上をいくとか
相手があっての“勝ち”なのでしょうが
前述した「タッカー」のように
本人として不幸でも不遇であっても、後年、誰かがその遺志を感じ取って
勇気をもったり夢を思い描いたら、それはある意味で“勝ち”のように思うのです。
私の祖父も父も、事業家としては晩年不遇を託っていたのかもしれませんが
その姿を見て育った私は、その無念を晴らしたいと強く願っている訳ですから
それもある意味で彼らの“勝ち”ではないでしょうか。
もちろん私が成しえなければ、その子孫に、あるいは同志に。脈々と受け継がれていくでしょう。
と、個人としての考えはこうなのですが
仕事上は“勝ち”にこだわり、その執念は尋常ではありません。
「投資(お金だけではありません。ご信任もご助言もすべて)に対する最大限の還元」
をモットーとして全身全霊で仕事に取り組むので、何卒ご安心(?)ください。