覚悟は幸福

人生でも、仕事でも。最近つくづく思うのが
“覚悟”することは“幸福”ということ。俗っぽくいえば“腹をくくる”ことが“幸せ”ということ。


葉隠の一節「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(これ自体は自決の覚悟と誤認され
歪曲された認識が広まっているように思いますが)というような“覚悟”です。


大袈裟に思われるかもしれませんが
私は仕事をお請けする時、“覚悟”を決めます。クライアントの投資(お金や時間)を
頂く以上はクライアントは勿論、利害関係者から社会に至るまでの幸福を考えて
そのすべての責任を負う訳でなくても、そこまで思いやり、それこそ真剣に臨みます。
葉隠の死ぐるいですね)。
それだけにクライアントにも“覚悟”を求め、お互いが利益(幸福)なる結果を目指すのです。
“覚悟”して挑めば、時間がかかったり紆余曲折あっても、真実に至り幸福になると思うんですね。


人生でも、“覚悟”がないまま生半可な気持ちで人と付き合ったりすると、あまり良い結果は
生まれないような気がしますし、どこかの国のリーダーも、“覚悟”がないまま
その職責を負っているから、責められたり詰られたりした位ですぐ辞めてしまうような
気がします。
私の親族は“覚悟”がないまま生きてきたので、躓いて現実を突きつけられると
開き直ったり、逃げ回ったりするしかなく、最も惨めな顛末となりました。
反面教師であると捉えるほか、憐れむしかありません。。。


じゃあ、覚悟できないことは不幸かというとそうでもなく
それも覚悟するまでの大切な過程なんだと思います。


前述したストーンオーシャンをはじめとするジョジョの奇妙な冒険シリーズは
テーマや奇抜な意匠性、台詞まわし、想像を絶するストーリーはもちろんのこと
その“覚悟”が描かれちりばめられているところも惹かれる理由なのです。


蛇足ですが、かなり昔、当時付き合っていた彼女を車で送った帰りに
国道を逆走する暴走族らしきバイクと遭遇。
ギリギリで私がハンドルをきって正面衝突を回避したのですが
あの“覚悟”はたいしたものでした。行いの善悪理非は別として。
今でもその国道を通るたびに思い出します。今頃その方はどうしているんでしょうね。